社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会

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第56回 鉄道90年記念奨励賞賞

■第一位

心のバリアフリー

小松崎 有美

   私には同い年の従弟がいる。小さい頃から同じ本を読み、同じ遊具で遊び、同じ話で盛り上がった。それがいつしか切ない思い出に変わってしまった。彼が十八の時である。
 彼は筋ジストロフィーだと診断された。これから社会に出ようという時に、もはや死の宣告を受けたようなものだった。親戚は世間体を気にして法事にも呼んでくれなかった。道を歩けば笑われたり、時には悪戯をされることもあった。強い精神力でカバーしていても、病気の重症化は避けられず、数年後には身の回りのことができなくなった。昨日動いていた足の指が今日は動かない。この前伸ばせた関節がもう伸ばせない。その喪失感から彼は完全に引きこもってしまった。居ても立ってもいられず、私は開かずの扉を抉じ開けた。「バリアフリーだし、あの公園に行こうよ。」「あんまり人が来ないから美術館でも行こうよ。」
 彼は絶対に首を縦に振らなかった。毎日来て下さったヘルパーさんにも助けを借りた。うるさく言えば言うほど心の距離が遠ざかっていくのを感じた。そしてある日突然「生きている意味があるのか。」と泣きじゃくった。いつも会うたびに筋肉が固まらないように手足を伸ばしていた彼。先の見えないトンネルの中でそれでも必死に回復の道を探っていたのだ。しかし、張り詰めていた感情はマックスに達していた。
 藁にもすがる思いでインターネットで見つけたNPO法人の患者会に母親とこっそり行った。スタッフの方にこれまでの経緯と現状を話した。すると、意外なことにまず私が注意を受けてしまった。
「確かに自由に身体を動かせなくてご家族も辛いところがあるでしょうけれど、かわいそうじゃなくて頑張ってるって見方をしませんか。」
 その時思わずハッとした。私はこれまで彼を悲哀の眼差しで見つめていた。本当は頑張っているんだ。そう思うと、彼に敬意の気持ちが湧いてきた。そして、以前彼が公園で見知らぬ人に「かわいそうっていうなよ。」と怒りをぶつけたことも思い出した。そうだ、頑張ってるんだ。
 それから程なくして患者会のスタッフの方に訪問してもらうことになった。その方は四十代でやはり闘病中であった。電動式の車椅子から見せる笑顔はとても闘病中とは思えなかった。スタッフさんは彼の側に寄るなり、手を取った。手から伝わる体温が一気に彼の心を温めた。彼は抱えていた気持ちを解放し、一生分の涙を流した。母も一緒になって泣いた。スタッフさんの言葉で彼を変えた言葉があった。
「足が動かなくたって何だよ。まだ手があるだろ。手が動かなくなったって、心があるだろ。」
 この時である。つないだ手が背中を押す手に変わったのは。彼は一念発起、トレーダーを目指した。マウスやキーボードがまだ扱えるうちは朝から晩まで没頭した。疲れが溜まるとうまく文字が打てなくなり、苛立つ様子も見えた。手を出せば彼の癪に障ってしまう。そんな時に手を差しのべてくれたのが、たまたま来てくれたヘルパーさんだった。入力支援ソフトと入力装置があれば障害があっても、きめ細かく設定を変更することができることを教えてくれた。おかげで友人とメールをすることも音楽を聴くことも彼の日常に彩りを添えてくれた。
 もう彼の身体はほとんど一日中ベットで過ごすことが多くなった。では可哀想なのか。いや、それは彼の顔をみていれば答えは明白だ。彼はいま、ネットの向こうにいる何億人とのコミュニケーションを心から楽しんでいる。そして、日々彼のもとに届くメールが、彼を奮い立たせるエールになっている。仕事の輪、趣味の輪、病気と闘う仲間の輪が家族からしたら有り難い限りであった。ずっと引きこもっていた6畳部屋も、いまは壁の向こうに太平洋が広がるように見える。
 あらためて「共生社会」について考えると私はここ数年で見方が大きく変わった。これまでは、どういうことをすれば障害者の環境が楽になるかを考えてきた。それゆえ、バリアフリーのある場所を「強制」したり、外に出たがらない考えを「矯正」したり、本人の気持ちを置いてけぼりにしてしまった。本人が一番欲しかったのは、自分の存在を、自分の人生を、そして自分の生き方を心の底から理解し、認めてくれる他者だった。つまり、心のバリアフリーが必要だったのだ。
「もっと共生社会」に期待することは、本人の望まないことを強制せず、本人の考えを「矯正」しない、おおらかな視点である。
 不便だっていいじゃないか。でも、不利にはしないで欲しい。共生社会の第一歩は、一人一人の心の持ち方からだと、私は彼から教わった。今よりもっと、自分が、町が、日本がそうなっていくことを信じて。



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